ライフハック序説

秋織のブログ。読書感想文や思いついたこと、考えたことを書いていきます。

思想としてのライフハック A・ジョリアン『人間という仕事』

『人間という仕事』の著者アレクサンドル・ジョリアンは〈ライフハッカー〉だ。暫定的な説明をすれば〈ライフハッカー〉とは思想、技法、情報などを活用して「仕事」を捗らせようという気概を持つあらゆる人であり、サンプルにはブッダ、ソクラテス経営学ドラッカーGTDの提唱者デビッド・アレン、発明家バックミンスター・フラーなどがとりあえず挙げられる。

〈ライフハッカー〉にとって思想は自分を世界へ繰り出させ、また次々に現れる具体的な問題へ立ち向かい解決するためのものだ。ただ物事を説明しよう、世界を受け入れようとするにとどまらない。だから〈ライフハッカー〉は思考のための思考に時間をあまり割いたりはしない。観想から実践へ、価値から問題へ、subjectからprojectへ。快や作品、望ましい未来や自分自身をガンガン生産するために。

(更なる)幸福を現実において目指すこと、設定した目的を達成しようとすること、障害を除こうとすること以外を悪だ、気晴らしだと言ってしまいたいわけではない。筆者自身はそこに戦略、戦術の差を見出すに過ぎない。各人ごとの特質や状況、環境や世界情勢、宇宙などに応じて採用すべき仕方、在り方、捉え方は違う。それは必ずしも善悪で裁(捌)いてしまえるものではないのだ。

 本書は半ばエッセイの形を取った哲学書で、ミシェル・オンフレが大して面白くない序文を書いている。主題は幸福論だと言い切ればそうなのだが著者いわく「ひとつの幸福論である以上に、本書は悦びへの招待、人生を前にして歓喜する技法、人びとを歓喜させる技法となりたがっています」。つまり本書は彼の〈ライフハック〉の提案かつパフォーマンスである(という仮定で話を進めます)。

脳性麻痺を持つ著者は自分の体がままならない。おのずから上手く生きることができないために物心ついてすぐ「ただ生きる」から「(より)よく生きる」(ソクラテス)へ態度を変えざるをえなくなる。成り行きや偶然に任せられない場合はみずから獲得しにいくしかない。「受身を禁じる不安定な状況がぼくを戦いへと誘う」と著者が語る所以はそこにあり、同じ場所から「生きることは闘争である」という仮説も引き出される。

痙攣を抑えようとすること、他人と共存すること(団結が闘争に取って代わるとも著者は言っている)、一人暮らしを始めること、そういった彼なりの戦いが生活上で敢行される。それは「よろこびを打ち立てるため」であり、闘争はそのため「軽やか」で「愉しげ」で「ユーモアとともに」繰り広げられなければならない。本書の文体は内容の真剣さに比べて明るい。しかしそれはハンディキャップから生じる苦しみへの防衛機制に過ぎないのだろうか? これに答えるためには「闘争はいかにして行われるのか」を問わなければならない。

著者の戦闘ドクトリンは苦しみの活用である。著者は苦悩に対して巧妙な態度を採った古代ギリシア人から「アルゴディセ[苦しみを通じて得られる認識]」という道具を取り出す。彼らは「根拠がなく、不条理で、意味のない苦しみほどひどいものはないという経験から出発して」「危機的な経験を実りあるものにするために、すべてを活用しようと考えた」。著者はここからインスピレーションを得る。

それは苦しみから逃げたり、あえて近づき浸ってみるのではなく、よろこびへつなげて無効化させようというアイデアだ。苦しみは戦うことの必要性と必然性を著者に思い出させ、闘争へ向かわせ、よろこびに結実する。苦しみは逐次報われて無化される。

また著者は哲学者アンリ・ベルクソンの次の文章を引用する。「よろこびがつねに告げるのは、人生が成功を収め、力を増し、勝利をもたらしたということである。あらゆる大きなよろこびは、勝利の調べを奏でるのだ」

以上の著者の仮説をまとめれば「生きることは苦しみを踏切り板にした闘争であり、勝利するたびに戦利品が得られ、過去の苦しみも意味を持つ」といったところだろうか。

先ほどの問いを思い出そう。著者の明るさは凱旋のそれであり、裏にあるのは苦しみから目をそむけず利用してやろうという理性、冷静な認識だ。心的な反応に囚われることに生産性はなく、そこに陥らない、陥り続けないようどうにかする必要がある。思考実験なり読書なり鑑賞なりハックは色々あるが本題ではないので書かない。

ところで勝利は一時的なものに過ぎない。「闘争に真の勝利はないし、おそらく、これからもありえない」。「苦しみはけっして消えはしない」。だが(だから)闘争は終わることがない。「人間という仕事、なんとすばらしい仕事だろう!」と著者は皮肉と賞賛を込めて叫ぶ。彼の思想ハックは単なる自己啓発でもなければ、ある種の「見えざる手」に期待して「生きよ堕ちよ」などと言う幸福の自由放任主義でもない。ままならないものを廃材にせず役立てる知恵なのだ。

「人間という仕事、誰もが日常生活で(しばしばそれと知らずに)実践している、宿命的な生き方の技法(アート)は…多くの手段と能力を要求するものであり、生きることを勝利に変えて、自分の人生の条件を引き受けるためには、たえず創意工夫を駆使しなくてはならない……」